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Glocal Life

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毒親と心理的虐待!毒親を擁護する人は問題から目を逸らしている臆病者

自分と社会 自分と社会-人間関係

どうも、Glocal Lifeです。

今回の記事では、毒親と心理的虐待について考えてみました。

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超えてはいけない一線

毒親を擁護する人達が理解していないのは

「超えてはいけない一線」が存在することだと思う。


子育ては本当に大変だから、

誰だって子供なんか産まなきゃよかったと思う時はある。


だが、それを子供に直接言うのは心理的虐待になる。


子供を殴りたいと思っても、

実際に殴ったら通報されるのと同じ論理だ。

虐待になる線引き

一度言ってしまった言葉を謝罪&訂正して、

その後二度と言わないのなら虐待の定義には当てはまらないが、

「子供を傷つける言葉」を繰り返し言うのは、立派な虐待だ。


一度カッとなって、子供に手を出しても、

きちんと謝罪し、もう二度と暴力を振るわないなら、通報されることはないが、

暴力が恒常化し、何度も子供を殴るようなら、議論の余地がないのと同じだ。

言葉の暴力と身体的暴力

言葉の暴力は、身体的暴力と同じように扱われるべきだし、

「子供を傷つける意図はなかった」という言い訳も通用しない。


「子供のしつけのために殴っていた」という言い訳が通用しないのと同じだ。


子供が傷つく言葉を投げつける親は、子供を殴る親と同罪だ。


「子供を傷つける言葉かどうか」の判断は、

親の意図とは関係なく、客観的に下すべきだ。

毒親は心理的虐待

日本で話題になっている「毒親」は、明らかに心理的虐待の一種だ。


アメリカなら通報されて、被害者の心のケアに全力を注ぐべき問題なのに、

日本では「親子関係のこじれ」のような個人的な問題だと思われている。


これは多くの日本人が、現実から目を背けている弱さの表れじゃないかと、個人的には思う。


自分たちの社会に児童虐待が存在することを認めたくないから、

その人達の心の安定のために、苦しんでいる子供の助けを求める叫びは無視される。


「日本は素晴らしい社会だ」という個人的なナルシズムを満足させるために、

目の前の子供から目を背けて、なんだかんだ言い訳をして、助けようとしない訳だ。

子供は絶対的な弱者


親子関係で子供は「絶対的な弱者」の存在だから、

社会全体で守らなければいけない存在なのに、

日本では「家庭内の問題だから」と有耶無耶にされる。


アメリカの大学教授になって驚いたのは、

虐待されている可能性のある未成年を見かけたら、

通報することは義務であり、それを怠れば私が罰せられることだ。

子供は親の所有物ではない

日本の場合は、まるで子供が親の所有物のように扱われていて

「何かおかしいな?」と思っても、

学校の先生や近所の大人が介入することを躊躇う雰囲気がある。


「子供は親の所有物ではなく、社会全体で守るべき絶対的な弱者」という意識を

もっと徹底させない限り、家庭内の心理的虐待は歯止めがきかない。

法の厳格さと情緒酌量

毒親に見られる心理的虐待が、日本で有耶無耶にされているのは、

法の厳格さと情緒酌量を取り間違えているからだと思う。


虐待をする親の心に子供への愛情が存在する場合もあるだろう。

だからといって虐待を許していい理由には断じてならない。


詳しくは、こちらの記事をどうぞ。

www.glocallife.net

原理・原則がない日本社会

「虐待は断じて許してはならない」という厳格なルールが敷かれていない時に、

「虐待した親も、子供を愛していたのだから」という感情論の情緒酌量を許したら、

単なる「なあなあ」で終わってしまう。


原理・原則がない日本社会そのものだと思う。


家庭教育でも学校教育でも

明確な指針が存在しないから、子供が混乱する。


結局は「親や教師にとって都合の悪いこと=悪」となる。

会社でも国でも同じだろう。

子供の虐待は親の責任

法とは、どんな権力者もひれ伏す平等の論理であるべきだ。


親や教師や大人にとって都合の悪かろうが関係なく、

子供を虐待することは悪であり、親はその責任を取らなければいけない。


善悪の基準が権力者(親や教師)の都合で、

いちいち変えられていたら、一貫性を望めない。


そんな環境で信念を持つ子供が育つ訳がないし、

子供が学ぶのは「長い物には巻かれて置いた方が得だ」という

封建的な奴隷の意識でしかないだろう。

親の責任は絶対追求すべき

「善悪の基準を明らかにしない」

「子供を虐待しても親は責任を取らない」というような社会では、

日本は衰退していくのも当たり前だ。


親子関係において、親は責任のある立場にある。

子供が親の所有物ではないのなら、

親の虐待の責任は断固として追求されるべきだ。

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自分の選択の責任を取る

子育てがいくら大変だとしても、

親は「産む・産まない」の選択肢はあったのだし、

産むことを選んだ自分の選択の責任を取らなければいけない。


自分に都合のいい部分だけ、子育てを楽しんで、

都合の悪い部分は、他の誰かに責任を押し付けるようなことは認められない。


人生は「いいとこ取り」はできないのだから、

子育ての良い部分も悪い部分も、自分で責任を取らなければいけない。

子供には責任は一切ない

今の日本が、子供を育てるのに大変な状況であることは、

社会全体で改善していく課題であるが、

子育てのつらさは、子供には責任は一切ない。


子供を育てる中で溜まっていった自分自身の鬱憤を

絶対的な弱者である子供に一方的にぶつけることは、

断じて許されない卑劣な犯罪である。


子育てがつらいなら、子供を虐めてるのではなく、

その状況をどう改善するのかに労力を費やしてほしい。

まとめ

という訳で、今回の記事では、

毒親と心理的虐待について考えてみました。


多様な意見の一つとして、

少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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